シングルファーザーとしての生活が始まった日から、筆者の人生は一変した。息子は感情を表に出さなくなり、自らの殻に閉じこもった。父として、そして時に母親として、どうすれば彼を笑顔に戻せるのか──それだけを考える日々が続いた。
ある晩、子供部屋を覗くと、息子が抱いていたぬいぐるみが濡れていた。涙の跡だった。父の前では一度も泣かなかった息子が、ぬいぐるみの中で涙を流していた。その瞬間、自分の無力さと責任を痛感した。心から謝りたい気持ちでいっぱいになった。
当時、広すぎて冷え切った家では心も体も持たなかった。小さなアパルトマンに移り住み、壁一枚でつながる部屋で、息子の寝返りの音を聞きながら眠るようになった。筆者は胃潰瘍になり、体重は50キロを切った。そんな自分を変えようと、まずは「食べる」ことに向き合う決意をした。
料理は命をつなぐ基本。どんなに忙しくても手作りの食事にこだわり、食卓に時間をかけることが、再生への一歩となった。やがて、温かい料理とともに、息子の笑顔や言葉が少しずつ戻ってきた。
そして、二人きりのクリスマス・イブ
この年の12月、またしても二人だけで迎えるクリスマス・イブ。高校生になった息子は「飾りつけはもういいよ」と淡々と言った。旅行も考えたが、フランス国鉄の長期ストライキで移動は困難。街は静まり返り、友人たちも訪れず、完全に二人だけの夜となった。
とはいえ、何もせずに過ごすのも寂しい。筆者は気分を上げるため、ケーキと夕食の準備に向かう。クリスマスは日本の正月のようなもので、翌日はほぼすべての店が閉まる。食料を確保しなければ年末が台無しになる。
「ブッシュ・ド・ノエル」と呼ばれるフランスのクリスマスケーキを求めて4軒回り、ようやく手頃なものを入手。次に肉屋へ行き、店主に「クリスマスらしい料理を」と依頼。午後に再び訪れると、ホロホロ鶏(パンタード)を丸ごと一羽、特製の詰め物入りで用意してくれていた。
自宅に戻り、鶏肉に栗、ジャガイモ、エシャロット、ハーブを添え、オーブンでじっくり焼く準備を進めた。首肉や内臓も別に調理し、日本の焼き鳥屋を思い出しながら肉を丁寧に処理した。
息子はスピーカーを持ってきて「音楽、流そっか」と一言。フランス語のクリスマスソングが流れる中、静かに食卓を整えた。
夜8時、テーブルにはいつもと少し違う食器とキャンドル。中心には1時間半かけて焼いたホロホロ鶏をどんと置いた。
「クリスマスってのは、将来フランス人の家族と過ごす時の予習だよ」と筆者。
「相手はアジア人かもしれないし、アフリカ人かも」と息子は笑いながら返す。かつて話題だった“エルザ”の名前は最近出てこない。だが、それ以上は聞かない。まだ高校生、人生はこれからだ。
「それでも、知っておいて損はない。親として、恥はかかせたくないからさ」
二人で鶏肉を切り分け、息子は無言で食べ始めた。筆者はワインをグラスに注ぎ、空に向かって乾杯した。「なんとかなる」と心の中でつぶやく。
この国、フランスは「なんとかなる国」だ。厳格な日本とは違い、ルールよりも柔軟さが重んじられる。だからこそ、頻繁にストライキやデモが行われるのかもしれない。すでに3週間、鉄道もバスも止まっている。だが、そんな中でも家族と過ごす時間がある──それが、何より大切なのだ。